縁起(えんぎ)

田んぼに苗を植えますと、やがて秋には稲穂が実ります。当たり前のことのように思えますが、田んぼに苗を植えなければ育つこともありません。

「縁起」とは、「因縁生起」のことで「よりて起こっていること」を指します。つまり全てのものは、直接的な原因(因)と間接的な条件(縁)が網の目のように複雑に関係し合って起こっている(果)ことをいいます。もっといえば、この世にあるものすべて縁起によって成り立たないものは何一つとしてないことになります。

日頃、「縁起が良い、悪い」という言葉を耳にします。物事の吉凶を言っていることだと思いますが、本来は他のはたらき、恵み、おかげさまによってこの命が支えられているわけですから、それによって「生かされている」という「縁を尊ぶ」仏法を聞かせていただきたいものです。

往生(おうじょう)

「往生際が悪い」「渋滞で車が立ち往生した」などと言われるように、往生という言葉はどうしても困った時や物事が行き詰まった時などのように悪い意味で使われていることが多いようです。
一般に「往生した」と聞けば、「死んでしまった」と受け取られています。
本来、「往生」とは「往生浄土」のことで、命終わって阿弥陀如来のお浄土に「往き生まれる」というのが往生の意味になります。
つまり、阿弥陀如来のお浄土は煩悩(私の身心を悩ます苦悩の原因)が完全になくなった世界であるお浄土に往生してただちに仏にならせていただくので「往生即成仏」といわれています。
ですから、「往生」ということばは本来、「阿弥陀如来の悟りの世界へと私が往き生まれさせていただく」のでありますから、困ったという意味ではなく私たちにとってむしろ尊い意味となります。